クラナドのSS『WAVE RIDER』


 通学路を、肩をすくめながら歩く。突き刺すような冬の寒さ。ブレザーの下にパーカーを着込んでも身にしみる。首元にマフラーも巻いているのだが、それでも耐え難い。ポケットに手を突っ込めばそこには家から持参してきたホッカイロ。唯一の小さな熱源に頼らざるを得ない状況がもどかしい。
 冬は嫌いだ。痛いから。例えば耳。今日パーカーを着てきたのは、耳の痛さへの対抗策だ。フードを被ってみると思った以上に温かくて、更に目深に被る。少し赤みを帯びているだろう顔も、これで少しはマシになるだろう。
 相変わらずの遅刻。周りには誰もいない。たぶん今は昼休みといったところだろう。進学をとっくの昔に諦めた自分でも、この冬を越えれば社会人という肩書きがつくのだろう。しかし、まだ、まともに就職活動もしていない。自分の将来を考えると、こんな俺でも不安になる。先の見えない未来。なんとかなるだろうと口では言うが、心の中は暗い。全ては何もしようとしない自分が招いた事態だと言うのに、この言いようの無い不安でさえも親父のせいにしようとしている自分に気付くと呆れて物が言えない。
 気付けば学校の前の坂道まで来ていた。立ち止まり見上げる。坂の周囲を囲むように生えた桜の木には枯葉すら無い。春の綺麗な姿からは想像もつかない。逆にここからあの桜色を思い出せというのも無理か。
 最近は、何に対しても気分が乗らない。春原のアホが実家に帰っていることもその原因かもしれない。一人では馬鹿なことも出来ない。無力な自分を感じる。
 ボーっとしていると体が冷えたのか、ブルッと身震いをする。
 はあ、さっさと暖かい校舎に入ろう。
 そう、足を踏み出した時だった。

「そこの不審者」

 声を掛けられた。聞き覚えのあるそれに対して、面倒だと思い無視を決め込む。

「無視するなー」

 それでも無視。

「おーい、聞こえないの? もう耳が遠くなったのかしら。若年寄ってやつ?」

 それは違う。あー、もう、うるさい。
 進める足を速める。

「ちょっとっ! ……シニタイ?」
「やあ、杏。お前も遅刻?」
「やっとこっち向いた。なんであんたフードなんて被ってるの? 怪しさ爆発してるわよ」
「寒いから」

 簡潔に答える俺に呆れ顔で返す杏。しかし、いつもと同じように喋っている気がするが違和感を感じる。なんていうか、覇気が無い。どことなくテンションもいつもより低いような……。それは俺か。

「んで、お前も遅刻かよ。そんな不真面目でこの先大丈夫か?」
「あんたに言われたくないわよ。あと、遅刻じゃなくて、忘れ物を取りに行ってただけ」

 ほら、と見せる手には謎の手さげ袋。いや、ほらって言われても分からないからな。

「何それ?」
「これはね……。ん?」
「どうした?」

 突然、思案顔になりぶつぶつと独り言。腕を組み、右手を口元に持ってくる仕種を見ると、なぜか嫌な予感がした。よからぬことを考えている気がする。

「ねえ、朋也」
「やだ」
「まだ何も言ってないんだけど」
「聞きたくない。どうせ変なこと考えてるんだろう」
「そんなことないわよー」
「じゃあ、何故目をそらす」
「うっさいわね。朋也のクセに」
「うあ、ジャイアンジャイアン
ジャイアン言うな! ……コホン。それで、ともやぁ」
「やだって言ってるだろう」
「サボろ」

 拉致られました。



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「怒ってる?」
「別に」
「ふーん。相変わらず無愛想な顔ね」
「生まれつきだからしょうがない」

 それからお互いに沈黙。
 本当に怒ってはいない。あれから学校に行ったって、残り二時間分しか授業は残っていなかったんだ。これといって影響は無い。俺にも、誰にも。
 あれから最初に向かった先は駅。駅前で買い食いでもするのかと思えば、構内へと入り、はいと切符を渡される。しっかりと電車賃はとられた。流されるまま電車に乗り込み、ただ二人で揺られている。周りに人はまばら。まだ、会社が終る時間でもないし、下校する学生だっていやしない。サボったんだから当たり前か。窓から差し込む日の光がうざったくてカーテンを閉めた。
 このまま行けばたぶん海に着くだろう。切符に記された行き先を見れば分かる。この寒い時にわざわざ海とは。デートだとしたら最悪の選択だ。もし、彼女が出来たとしても冬の海に行くのだけはやめよう。

「電車ってさー」
「ん?」

 沈黙を破ったのは杏のどうでもよさそうな声。

「いや、電車って退屈ね」
「そうだな」

 この車両のカーテンがほとんど閉められているため、外の景色を見ることも出来ない。ひたすらトンネルを走っている気がする。これは確かに退屈だ。

「マンガでも置けばいいのに」
「そうだな。あと、コンビニとかも欲しいな」
「コンビニかぁ。それも暇が潰せていいかもね」
「まあ、俺らが電車に乗ることなんてほとんど無いんだから退屈でもいいんじゃないか?」
「それもそうね」
 
 再び沈黙。
 電車のうるさくリズムを刻む音だけが聞こえる。その音によって打ち消されたが、俺の腹が泣き声を上げた。そういえば、起きてからなんにも口にしていない。目的地に着いたらなんか食い物を買おう。ん、なんか眠くなってきた。

「あのさぁ」
「ふぁあ、あに?」

 再び沈黙を破った杏に、欠伸をしながら答える。少し眠気が逃げてしまった。

「眠そうね」
「ああ。電車ってなんか眠くなるな」
「そう? んー、そう言われれば眠くなってきたかも」
「だろ」
「眠いなら寝ていいわよ。着いたら起こしてあげるから」
「寝ねぇよ。杏は」
「ん?」

 何か言おうとしてなかったか? と聞こうとしたが、どうせ大したことじゃないと思い言葉をとめる。

「あ、いや、眠くないのか?」
「授業中ばっちり寝たから大丈夫よ」
「そうか」
「うん」

 ここで会話が切れる。どうも続かない。いつもは何を喋ってるかは覚えてないけど、もう少し長く話している。いや、ひっきりなしに喋ってるかもしれない。まあ、でも、こんな日もあるか。
 お互いに何も喋らないまま、時間と電車だけが進んでいく。あれから杏も話題を振ってくる様子が無く、ひたすら沈黙が続く。それでも、特に居心地の悪さを感じることはない。俺は鈍いんだろうか?
 ちらりと杏の方を覗き見ると、何か考え事をしているようだった。放っておこう。
 線路は続くよどこまでもよろしく、電車は俺たちを乗せてひたすら走る。まばらに居た人々も、今ではゼロ。この空間には杏と俺、二人きり。
 もうそろそろ到着だ。


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 夕日が綺麗だった。肉まんがうまかった。ホットコーヒーはまずいかったが、暖かかった。馬鹿二人が砂浜に立っていた。

「……さむ」
「……いたい」

 どんなに夕日が綺麗だろうと、肉まんがうまかろうと、その感動全ては、たった一つの事実によってかき消される。『寒い』このひとことに尽きる。
 浜風っていうのは凶器になるんだと今日初めて知った。デートどころか一生冬の海に行くのはやめようと心に固く誓う。

「おい杏!」
「なによ!」
「用事があるならさっさと済ませろ! そんで帰るぞ!」
「分かってるわよ! あー、ちくしょう! もしかしたらロマンチックな雰囲気になるかもとか思ったあたしが馬鹿だったー!」
「訳わかんねぇこと言ってないで早くしろ! 死ぬー!」
「うがー!」

 風が強くて、普通の声ではお互いに聞こえないので大声で喋る。あと寒い。
 一体、用事とはなんなのか? 杏はずっと持っていた謎の手さげ袋に手を突っ込んでいた。そして、取り出したのは一冊の本。タイトルは『猿でも合格! 大学受験』。いや、意味不明ですよ。
 そして、何を思ったか、それを肩に構える。

「うおりゃあああああああああぁぁぁぁっ!! そもそも猿には受験資格ないのよおおおおおぉぉぉぉぉっ!!」

 叫びながら海に向かってぶん投げる。それはもう力の限り。水平線に届くんじゃないかってぐらい飛んでいった。

「何やってんだ馬鹿!」
「見りゃ分かるでしょ!」
「分かんねぇよ!」
「朋也の馬鹿ー!」
「なんでっ!」
「ストレス発散に決まってるじゃない!」
「はあ!?」
「受験生はストレス溜まるのよ!」
「知らねえよ!」

 そんなことのために、俺はこんなとこまでかり出されたのか。最悪だ。

「朋也も叫んでみなさいよ! さあ! イライラを全て吐き出すのよ!」

 最悪だ。最悪だ。

「最悪だああああぁぁぁぁっ!」
「きゃはははははは! なにが最悪なのよー!」
「お前が最悪なんだよ!」
「きゃはははははは! 知ってる!」
「うぜええええええぇぇぇぇっ!」
「きゃはははははは!」

 叫んでいるうちに変なテンションになってきた。杏のほうも、ひたすら笑っている。
 寒いし、最悪だけど、久しぶりに馬鹿な自分に戻れた気がした。

「ともやー!」
「なんだコノヤロウ!」
「あんた好きな人っているー!」
「いねえよ!」
「あたしはいるよ!」
「しらねえよ!」
「ともやー!」
「なんだよ!」
「ともやの馬鹿ー!」
「なんでだよ!」
「きゃはははははは!」
「寒いぞ!」
「さむーい!」
「帰るぞ!」
「おー! さんせー!」



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 あれからダッシュで駅まで戻り、タイミングよく来た電車に乗り込むことに成功した。
 帰りの電車ではいつもの俺たちに戻っていた。他愛の無いことを喋り、笑いあう。俺が今日の杏はおかしいと思っていたように、杏のほうも俺がおかしいと感じていたようだ。
 たぶんだけど、お互いに最初の人生の岐路に立ったことで将来への不安が涌いてきて、自分ではどうすればいいのか分からなくて、でもどうにかしなくちゃいけなくて。そんなこんなで、自分らしさっていうものを見失っていたのかもしれない。
 これから先、きっと何度も不安っていうのは襲ってくるんだろうと思う。それでも、まあ、またおかしくなったら海でも山でも行って叫べばいいかもしれない。杏でも誘ってさ。冬の海はもうごめんだけどな。

「「へっくしゅん」」

 風邪ひくから。


   <おわり>



最近は、書いていると方向が変わったり長くなったりするのは何故だろう?