あの頃は気功砲



 一台の車が、その会社の駐車場の入り口に吸い込まれていく。全面スモークが張ってあるため、中を覗き見ることは誰にも出来ない。頑なに人との接触を拒否した車は、中に何人乗っているかさえ教えてはくれない。
 その車が専用の駐車場に停止する。運転席から帽子を被り、白い手袋をはめた、両頬の赤い円がチャームポイントだと自負する小さな少年が現れた。不思議なことに少年の体は少しだけ浮いていた。
 右手の人指し指をピッと伸ばし、何かを念じる。すると後部座席の扉が誰の手も借りずに自然と開きだした。初めて見る人にとっては、驚くべき光景かもしれない。しかし、これは彼らにとってはいつものことだった。
 後部座席から一人の奇妙な黒いスーツ姿の青年が降りる。その頭は、一切の隙も許さぬように徹底的に剃りこまれていた。しかし、彼を奇妙と思わせる最たる原因はそこではない。妖しい光をその内に秘めたおでこの目であろう。青年は三つ目であった。

「いつも悪いな餃子」

 開いた後部座席から現れた三つ目の青年が、そう少年に声をかけた。
 それに対して餃子と呼ばれた少年は、笑顔で答えた。

「ははは、天さんのためだもん」
「お前はいい奴だな。はははは」

 二人して笑いながら、エレベーターへと向かう。ボタンを押し到着を待つ。小さな金属音が到着を知らせ、それに乗り込む。そして、目的の階を指定する。102階。それは、このスカイグループ本社の社長室がある階だ。
 


 そう、その三つ目の青年こそが、現在全ての業界で売上高、市場シェアが世界一と言われているスカイグループの全てを統括する、『世界一の金持ち』こと天津飯その人である。
 そして、餃子と呼ばれた少年。元はしがないネット通販会社だった、スカイ通販が世界一にまで上り詰めた背景には彼の存在が大きい。かわいい顔とは裏腹に、笑顔で人を殺せる暗殺者。それが彼の正体であった。そして、その冷たい心は企業戦略においてもは絶大な効果をあげる。ただひたすらに利益を追求する彼によって、倒産、合併にまで追い込まれた企業はあげればきりが無い。ヤクザのような方法で契約をとる彼は、いつしかこう呼ばれるようになった。『冷たい爆弾―コールドボム―』と。
 そんなやり方をしてもこの企業の信頼が落ちなかったことには、餃子の隠蔽工作もあるが、天津飯の人柄によるものが大きいだろう。彼は人を引きつける才能があった。餃子も彼にだけは心を許していた。



 下りていく景色を眺める天津飯。その顔にはいつもの活力は見られず、虚無感が漂っていた。

「どうしたの天さん?」
「ああ、なんでもない。ただ……」
「ただ?」
「ただ、随分と高いビルを建てたものだなと思っていたんだ」

 この本社ビルの高さは現存する建築物の中では世界一を誇っていた。

「だって『世界一の金持ち』には『世界一高いビル』が似合ってるよ」
「世界一なんてやめてくれよ。どんなに金を持っていたってあいつらには……敵わないんだ」
「天さん……」

 現在では企業家である天津飯も、最強の格闘家を目指していた時代があった。一度は天下一武道会優勝という称号を手に入れた彼も、敵わないと思える壁にぶつかってしまった。彼にはそれを乗り越えようとする精神力が無かった。いや、仮にあったとしても勝つことは無理だっただろう。彼は最良の選択をしたのだ。

「何ボーっとしてる。着いたぞ」
「あ、うん」

 気付けばエレベーターは目的の階に着いていた。慌てて降りる餃子。
 全面ガラス張りのその部屋。102階という高さから見る景色は壮観であった。全てのビルが、自分よりも下に位置し、まるで自分が世界の支配者であるかのような錯覚に陥らせる。
 しかし、天津飯はここからの景色を見るたびに思うことがあった。
 今では企業家としての才能が開花し、世界一とまで呼ばれるようになった。スーツも随分この体に馴染んだ。でも、ふと全てを投げ打って昔のように旅に出たくなる時がある。昔のようにただ己を鍛え上げるだけの日々。
 ブルブルと首を振る。
 何を考えている。俺の肩には全ての社員の未来がかかっているんだ。もう逃げ出すことはしたくない。あの時のように。
 そう言い聞かせて、自分を奮い立たせるために顔面を両手で叩く。
 
「よし! 餃子、今日の予定を教えてくれ」
「あ、うん! えっとね……」

 餃子の話を聞ききながら、自分はこれからもここで頑張っていくんだと心の中でまた一つ気合を入れる天津飯であった。

「っっ!」
「っ!」

 話の途中に突然とてつもなく強く、そして、懐かしい気を感じた二人。

「おい、餃子」
「うん」
「孫のやつ、相変わらずみたいだな」
「だね」

 隣のビルからまっすぐ伸びる青色の光。それはかつての仲間、孫悟空の得意技であるかめはめ波であった。
 それを見て、ふと閃いた。

「なあ、餃子。いいこと思いついた」 
「何?」
「今度皆に会いに行かないか。久しぶりにさ」
「うん!」
「でも、条件があるな」
「だね」
「……あれくらって生きてたらな」
「……そうだね」

 隣のビルから飛び出したかめはめ波は、まっすぐに天津飯たちのいる102階を目指していた。