『デリート』


 現在の時刻、午後八時五十五分。
 いつも通りにバイト先のコンビニにシフトの五分前に到着した。

「おつかれさまです」

 店に入り、今の時間帯に入っている人に挨拶をする。
 
「おつかれさまー」

 挨拶をした僕に彼女が笑顔で返してくれた。久しぶりに見た、彼女の顔。最近、バイトになかなか入らなくなったなあ、と思いながら僕も笑顔を向ける。
 事務所に行くと、すでに僕と一緒の時間帯に入る相方が来ていた。僕らの仕事は時間帯でくぎられ、二人組みで行われる。軽く挨拶を交わし、ユニフォームに着替えを済ませ、タイムカードを押し、レジへと向かう。
 僕の最初の仕事はレジの点検を行うこと。お金に誤差がないか調べる。その間に客の相手もしなければならない。
 彼女のシフトの時間帯は終り、僕らの仕事が始まる。
 あがりますと声を掛けられ、おつかれさまですと返す。いつものことだった。しかし、ここからいつもと違うことが起きた。僕の後ろを通り事務所へと戻ろうとした彼女が、不意に足を止めた。そして、振り返り話をし始めた。

「私、今日でここをやめることなったの」
「え? へ?」

 いきなり告げられた言葉。

「いつも交代してもらって、本当ごめんね」
「あ、いや。別に」
「最近本当に時間の余裕がなくなってきて……」

 彼女が言うとおり、僕はよく彼女にバイトを代わりに入ってもらえないかと電話が掛かけてきていた。基本的に暇な僕は、すぐに了承した。その電話で、いつからか世間話もするようになった。そういえば、最近は頓に交代の電話はよく掛かってきていたっけ。
 最初のうちは、同じ時間帯に入ってもお互い人見知りが激しく、うまく話すことができなかった。電話で喋るようになってからは、一緒にバイトに入った時もなんとなく二の腕やわき腹をつつき合うぐらいの中にはなっていた。
 彼女と入るバイトの日は楽しみになっていたのはいつからだろう。彼女と入ると、普段来ない宅急便を頼む客が必ず来ることは、よく僕らの間で話題になった。考えてみれば、僕はいつも彼女にからかわれていた気がする。負けずに毒を吐いてみても、それはあなたの方だよと笑って返されると、それ以上は拗ねるしかなかった。
 時間の余裕がなくなったから辞めると言った彼女だったが、僕にはそれ以外の理由の心当たりがあった。
 彼女と一緒に入った日に相談されたことを思い出す。一人とても苦手な人がいて、その人と一緒には入りたくない、と。その人は、バイトの中でも細かいと有名な人だった。根が真面目で、普段はいい人なのだが、仕事に入ると途端に厳しくなる。このコンビニのバイトは、その人以外は基本的にゆるい人の集まりだった。その中でも僕は、特にのほほ〜んとしていてとっつきやすかったと彼女は言った。
 一度だけ彼女がその人と入った時があったのだが、偶然その日にバイト先に遊びにいった僕は驚いた。ほとんどいじめだった。彼女も、彼女でとてものんびりした人だったし、それにまだバイトを始めて、まだ間もない時であったのにも関わらず、その人は彼女に僕ら並の働きを求めていた。そんなこと無理に決まっているのに。見かねた僕は彼女達の手伝いをした。
 思い出してみれば、彼女が代わってという日の大半は、その人と入っていた気がする。彼女は本当に苦手だったのだろう。まあ、僕もあまり得意ではないが。

「今日、やめるの?」
「うん……」
「そうなんだ。今までお疲れ様でした」
「うん、ありがとう。あ、お客さんだよ」
「おっと、いらっしゃいませー」

 客の相手をしながら、レジの点検もしなければならない。忙しそうだと察した彼女は事務所へと戻っていった。
 あとで、いろいろ話をしようと思いながら、僕は接客をしていた。
 しかし、何故か今日に限って客足は絶えることはなかった。客が大勢並んだ時は、彼女が手伝いに来てくれたので助かったが。
 一段落つき、あと十分後ぐらいには事務所で駄弁れるだろうと思った僕は、少しいつもより声が大きかったように思える。いつもなら、バイトが終ればすぐ帰ってしまう彼女も、今日はずっと残ってくれていた。遅くなってしまったが、待っててくれるなら少しは話が出来るだろう。
 しかし、そんな考えは甘かったようだ。

「いらっしゃいま、あ、……おつかれさまです」
「おつかれ」

 客かと思い挨拶をした相手は苦手としていたその人だった。どうやらシフトを確認するために来たようだ。その人が事務所へと入っていく。すると、すぐに彼女が入れ替わりで出てきた。

「おつかれさまでした。本当今までありがとね」

 そう言って、彼女は店を出て行った。
 十時も半分を過ぎると客足もゆるみ始め、やることも全部やったので休憩をとることにした。飲み物を買おうと思い、事務所に無用心に置いておいた財布を取る。かさっと音がしたので見ると、何か紙が挟まっていた。
 レシートだ。そんなもの挟んだ覚えもなく、不審に思い眺めていると、その裏には文字が書いてあることに気付いた。書き殴ったようなその文字。急いで書いたことがうかがえた。

『いろいろとありがとうございました。一番迷惑かけたよね。ごめんなさい。』




 その日僕は、普段飲まないミルクティーを買っていた。彼女がよく飲んでいたものだ。勧められたが、ミルクティーだけは嫌いなんだよといつも拒否していた。おいしいからと無理矢理飲まされたことがあったが、やはり甘くて僕には合わなかった。
 ミルクティーを飲みながら携帯をいじる。電話帳を開き、彼女の番号を呼び出す。



 この場所でしか交わらなかった、彼女と僕。
 これから先、僕は彼女に一生会わないだろうと漠然と思った。
 お互いに連絡を取り合う気なんてさらさら無い。
 僕は彼女に、自分にとても近いものを感じていた。彼女はどう思っていたか知らないが。
 でも、もしも、もしも、会える日がくるならば、それは偶然がいいな。
 そう思い携帯の操作を進める。
 画面に出てきた文字。


『この番号を削除しますか?』

『>はい<  いいえ』


 彼女の顔がふと想いうかぶ。笑った顔、怒った顔、拗ねた顔。
 もっといろんな顔が見たかったな。
 そして、僕はボタンを押した。
 いつか会える明日を夢見て。